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―谷元はどんな先輩で、どんな思い出があるか

「年は1個上やけど、ほぼタメ語やったし、そういう環境をつくってくれる優しい先輩やったし、頼りになったよね。今でいう玉井やろうけど、先発でも何でもこなせたし、スクランブルも行けたし、ピンチからでも行けたし、ほんまに万能にできる。器用でユーティリティな、貴重な仕事をずっとしてくれていたもんね。16年の優勝の時は胴上げ投手にもなっている。あの時はマーティンが夏に足首をけがして、僕と谷元さんの2人で八、九回を必死こいて投げた。あれが今までで一番しんどかったもんね。状況も(首位を)争っていたから、毎日2人で嗚咽(おえつ)しながら、2カ月ぐらい過ごしていた。どっちが(先にマウンドに)行くか分からんっていうのもあったし、増井さんもその年は前半、状態が悪くて、先発に転向になってっていう状況やったし。あの16年の8月からの2カ月、優勝、日本一になるまで、ほんまに2人で苦労したなっていう思い出が一番あるかな。一番印象に強いね」

―戦友のような関係だった

「ほんまに、まさに戦友。七回いつも行ってくれて、自分が八回に行って、増井さんが九回に行ってっていうのを何年も続けた。俺の前には絶対、タニモンが投げていたから、その後に投げなかったら、ソワソワする感じだった。やっぱりリリーフって、前のイニングに行ったピッチャーの信頼度というか安心感ってすごい大事で、だから谷元さんが七回行ってくれますってなった時に、打順を逆算して、谷元さんやったらこんだけで抑えてくれるやろうって計算が立つから、次に自分が対戦するバッターをイメージしながらブルペンでつくれるっていう、そのぐらい信頼していた。だからあの時の谷元さん、増井さんとの3人は戦友っていう感じやったな。でも一番はあの16年の8月から。あれはほんまに2人でゲボ吐きながらやっていたね。接戦ばっかやったし。それが一番の思い出かな」